こんにちは。
「おんな城主直虎」を相も変わらず毎週見ています。
10月8日放送「天正の草履番」では、今川氏真宛てに織田信長の目の前で蹴鞠をするように指示されていました。
今川氏真としては織田信長は敵。にもかかわらず、甘んじてその命令を受けて、実際に織田信長の前で、今川氏真が蹴鞠をするシーンが放送されました。さぞかし、屈辱的だったことでしょう。
ということも踏まえて、今川義元が討たれたとされる桶狭間古戦場へ行ってきました。
国道一号線からすぐの場所に桶狭間古戦場はありました
自家用車で国道一号線を走っていると、名鉄中京競馬場前駅すぐのところを曲がってすぐに桶狭間古戦場がありました。
ちょうど、案内ボランティアの人達がいたので、駐車できるところを聞いてみると、道の反対の高徳院というお寺に停めればよいとアドバイスを受けたのですぐに自家用車を停めて、古戦場に向かいました。
桶狭間古戦場には説明をしてくれるボランティアスタッフがいました
ガイドさんの情報によりますと、4-6月、9-11月の土日祝日にはガイドさんが待機しているそうです。
また、事前にガイドを依頼される場合は、豊明市観光協会(電話0562-92-8312)へ連絡すればよいとのことです。
いずれにしても、私の場合、この制度のことは知らない中で、訪問してしまいましたので、ラッキーでした。
皆さんも訪れる際はガイドさんの話を聞きながら見ると、深みが増すと思いますよ。
このあたりに住宅を建てようとすると、多数の〇が出てきたらしい
ガイドさんの印象的なお話のひとつとして、住宅造成において、鎧が多数出てきたことです。
伊勢湾台風の影響で、海に近い土地から、より内陸である桶狭間付近に引っ越してくる人が多かったようで、急激にこのあたりの住宅整備が進んだとのこと。その際、多数の鎧が出てきたようです。当時の戦で亡くなった人たちのものだったようですよ。
ただ、時代は高度成長期ですので、あまりそういうことには無頓着だったみたいです。
(以下の写真 上:大正天皇御大礼記念碑 昭和34年 下:本日の写真)
※今ではすっかり住宅街の中にあります。
大正天皇もこの地を訪れた
もうひとつ、ガイドさんの印象的な話として大正天皇が訪れたということです。
少数の織田軍が多数の今川軍に勝った場所として縁起が良いということでの来訪だったようです。
いずれにしても、強大な今川軍が少数の織田軍に2時間余りで敗退してしまった大きな理由は、戦況が良いことを聞いた義元が昼食で酒宴をしていたことでしょう。
なんでもそうですが、油断大敵。時代は繰り返します。
皆さん気をつけましょう。
以上、「かつて桶狭間古戦場付近で住宅を建てようとしたら〇が出てきた【おんな城主直虎を見て桶狭間古戦場を訪れたくなった】」でした。